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9月東京定期演奏会 間宮芳生「ヴァイオリン協奏曲」をめぐって

2019.08.09

間宮芳生:ヴァイオリン協奏曲(日本フィル・シリーズ第2作)

小沼純一


 この列島にいながら、西洋の芸術音楽なるものをどうとらえ、どう考えてゆくのか、そしてどう作品化してゆくのかをずっと実践しつづけてきた作曲家、間宮芳生(1929-)。北海道は旭川に生まれ、東京藝術大学に進み、池内友次郎に師事。1953年に外山雄三、林光と「山羊の会」を結成。1955年からは《日本民謡集》をはじめ、この列島で歌われてきた民謡の研究から実作へとさまざまなアプローチをおこなってきました。
 そうしたなか、1959年、《ヴァイオリン協奏曲》が作曲されます。初演時のプログラムに掲載された文章(※下記に転載)を要約するなら、言語生活に結びついた「言葉を持った音楽」を中心に手掛け、「現代の音楽がもつ、専門的なわくから、音楽をときはなちたい」「社会に向って発言する力を持ちたい」と考えてきた。しかしこのヴァイオリン協奏曲ではこうした姿勢への「反動」であり、「前のような姿勢に対して、他の要求が私の中にあることを見出した結果の産物」なのだと作曲家は述べています。その意味では、間宮芳生という作曲家個人の歴史のなかで、エポック・メーキングな作品だったにちがいありません。
 もともと声の音楽を主に志向していた作曲家は、この作品で、いわゆるふつうの人が歌うような民謡とは異なった、そして複雑な節まわしや技巧を用いるヴァイオリンを、作品の中心に据えています。声でできないこと、声をこえることをこそ、西洋楽器でやってみる、とでも言ったらいいでしょうか。
 全体は4つの楽章(Prelude-Marcia-Intermezzo-Finale)からなります。すこし長くなりますが、作曲家の文章を引用しましょう−−−−「全曲の核は、第3楽章のインターメッツォの中の中間部であり、ここでは、本来最も生き生きと健康にうたわれるべき、わらべうたが、ひよわに、かなしげに、しかも短く中断されるかたちであらわれる。インターメッツォのテーマは、ひなのうたであり、それは悲しく、ひよわなわらべうたを抱いている。それは、現実世界に抗しがたく見える、そして分類されたひなのうたを、わらうような、圧力としてのテーマの間にはさまれてうちひしがれている。私は、その外に立っている。プレリュードと、フィナーレの後半は、いわば私の姿勢ともいえるかもしれない。私の安全地帯から、ふみこんで、ひなのうたの明るく、わらべうたの健康ないぶきをふきかえす力を私はもちたい。/それは私のまた日本の音楽の今後にかかっている。」
 作品は毎日芸術賞を受賞。作曲家は30歳。今年は初演されてから60年、最近間宮芳生は90歳の誕生日を迎えました。ノートに記されたことばは、初演されてから60年経って、この列島の音楽家に、音楽界に、どう読まれるべきでしょうか。
 ちなみに、武満徹《弦楽のためのレクィエム》が1957年、黛敏郎《涅槃交響曲》が1958年に初演されており、作曲者は1970年代に2曲目のヴァイオリン協奏曲を発表しています。こちらはヴァイオリンとともにドラムスが活躍する、本作とはまた異なったヴァイタリティあふれる作品です。

 

 

初演時のプログラムより(1959年6月24日第16回定期演奏会)

(左から コンサートマスター・ブローダス・アール、ヴァイオリン独奏・松田洋子、作曲者・間宮芳生、指揮者・渡邉曉雄)

 

ヴァイオリン協奏曲をめぐって

間宮芳生

 純粋器楽音楽に標題を附すこと、特に、ある特定の、特語のようなものを附すことは、多くの作曲家が試みていることであるが、それが、常に意をつくしたものだったわけではない。ベルリオーズの幻想交響曲が不朽の名作であることを誰も否定は出来ないが、この曲に対して、彼自身の附した物語は、その音楽のすばらしさに比して、全くチンプなものだとの意見については、私もやはり、その通りだと思う。しかしながら、ある特定の物語をその音楽の内容を説明するものとしてのべることが、純枠器楽音楽の場合には、全くばからしいものだとは私は考えないし、現代の作曲家が、そのような方法、すなわちことばを利用することを、もっと考えてよいと思う。
 ところで、私のヴァイオリン協奏曲について、何故ある特定の内容を私が与えたいと思うようになったかを説明する必要がある。
 私は、このところ、特に言葉を持った音楽(声楽その他種々な方法で、ことばを加えたーことばによった音楽)を書くことに強い意欲を感じるようになった。それは、単純に言えば、器楽のみでは実にたよりなくじれったいということであり音ではなく、ことばによって言いたいことが、私に沢山あるからである。そして歌曲、合唱曲、オペラ等によって、そのような仕事をはじめて来た。それは日本語をその言語生活の根に密着したところで、音楽化することによって、現代の音楽がもつ、専門的なわくから、音楽を解きはなちたいという希望であり、作曲家が、もっと具体的な問題について、社会に向かって発言する力を持ちたいということなのである。
 いわば、ヴァイオリン協奏曲は、そのことの反動であり、前のような姿勢に対して、他の要求が私の中にあることを見出した結果の産物である。それは、私の生涯を通じて見れば、やはり大切にすべきものか、棄てさるべきか、私にははっきりしないのだが、現在の私には、それは棄てたい姿勢なのである。そして、ヴァイオリン協奏曲はその棄てさりたい姿勢の清算として私によってうけとめられ、そこで、ある特定の内容を持つことになったのである。
 全曲の核は、第3楽章のインターメッツォの中の中間部であり、ここでは、本来最も生き生きと健康にうたわれるべき、わらべうたが、ひよわに、かなしげに、しかも短く中断されるかたちであらわれる。インターメッツォのテーマは、ひなのうたであり、それは、悲しく、ひよわなわらべうたを抱いている。それは、現実世界に抗しがたく見える、そして分断されたひなのうたを、わらうような、圧力としてのテーマの間にはさまれてうちひしがれている。私は、その外に立っている。プレリュードと、フィナーレの後半は、いわば私の姿勢といえるかもしれない。私の安全地帯から、ふみこんで、ひなのうたの明るく、わらべうたの健康ないぶきをふきかえす力を私はもちたい。
 それは、私のまた日本の音楽の今後にかかっている。
 そのような力を音楽が持ち得たとき、器楽音楽は全く新しい意味を持つことになるのではなかろうか。