小林研一郎《特別インタビュー 77歳、マエストロ小林もうひとつの「7」》

特別インタビュー

77歳、マエストロ小林もうひとつの「7」

小林研一郎(日本フィル桂冠名誉指揮者)

喜寿を祝う特別演奏会「炎のマエストロ、77歳の軌跡!」(2017年4月8日/東京オペラシティコンサートホール)が催され、時をおかずに海外での録音や演奏旅行を行うなど、次なるステージへ精力的に踏み出した我らがマエストロ小林。まだ余韻が残る特別演奏会を振り返っていただいた。

「皆様には、日本フィルと僕が紡いできた時々に対し、常にお心にかけていただいた感謝と、ひとつの節目としてお聴きいただいた演奏会であったと思います。とりわけて、天皇皇后両陛下の御臨席を賜ったことは身に余る光栄でした。と同時に大きな励みであり、私どもに課せられた使命と責任の重さに身の引き締まる思いです」

 

特別演奏会では、喜寿の「7」にちなんだベートーヴェンの《交響曲第7番》を取り上げた。77歳、マエストロ小林もうひとつの「7」。今回のブルックナー《交響曲第7番》について伺った。

「ブルックナーは大好きな作曲家で、ベートーヴェンの《7番》同様、当初から頭の中にありました。それほど演奏回数が多い作品ではありません。日本フィルではこの数年ではお一人指揮されただけです。ほどよく楽員の皆様が習熟し、すばやく咀嚼できることがあるかと思います。ブルックナーも、ベートーヴェン同様、突き詰めれば突き詰めるほど遠のいていくものですから、77歳を機に、まずブルックナーの《7番》をより深く掘り下げたい、少しでも近付きたい、との思いがありました。そして、迸る情熱や闇より暗い慟哭などを醸すのに、年齢って不可欠なものだな、とつくづく思うのです。史上初の永世七冠を遂げられた羽生善治氏がその思いを語られた中に『40年の経験は貴重な物で、不要なものは捨てる将棋が出来るようになった』とありましたが、僕も階段を1段昇るごとに見えてくる景色がある……と実感しています。ですので77段の階段からの見え方でブルックナーの行間の宇宙を読み紡いでいけたら……と思っています。齢や経験を重ねることは、楽員の皆様が私の心の内を察してくださり、不要なものを洗い流し、とても温かいものを還してくださいます」

 

演奏に際し、作品の音楽的文脈を読み解く手がかりや心がけられていることを尋ねた。

「ベートーヴェンは、《7番》の作曲(1812年)から初演(1813年)にかけての間、テプリッツでゲーテとの邂逅があり、逸話が残されています。《7番》にはそういう“背景”があると思うのです。どういう時代に、どういうことがあって書かれたのか、ということです……。書かれた時代の作曲者の生き様や交友などを知ることで、思いの丈が深まるのですね。ブルックナーの《7番》について言えば、崇拝するワーグナーが亡くなって(1883年2月)、涙に暮れながら書き上げた(同年9月)。ですから、このシンフォニーはワーグナーとともにあり、一貫したモティーフで構成されているんですね。意外に知られていないのは、4度とか5度とか“苦しみの原点”を予感させる音程を中心に据え、しかも、E-Dur(ホ長調)の崇高さと、cis-moll(嬰ハ短調)というくぐもった調性で描かれる哀惜の念は、ワーグナーへの愛に満ちています」

 

ブルックナーは信心深いカトリック教徒であった一方、魂の問題を抱えながら、人間らしさ、人間の弱さを持っていたといわれる。顕著なのは、版や異稿などの問題であるが、人間ブルックナーに対するマエストロ小林の思いを伺った。

「ブルックナーは、彼自身の才能を評価していなかったのではないか、と思うのです。評価せずに耐えていた人ではないでしょうか。自分の作品を聴いて『こんな音でいいんだろうか……』と弱気な一面をのぞかせる。しかし、自信がなくとも愚直に生きようとするひとりの人間の姿がある。だからこそ、胸を掻きむしるような苦しさや怒りの咆吼など、私たちの生き様を捉えた、後生の人々へのメッセージも含んでいると言えます。僕がブルックナーの一番好きなところは、自身の才能を謙(へりくだ)ってみていたことです。ですから、ワーグナーから学んでみよう、誰々から学んでみよう、そこが神様から与えられた大きな才能なのだと思います。“謙虚”である、これは指揮者も同じことです……。《7番》とは、“ワーグナーへの愛”とか、“音楽への愛”とか、“自分のありさまへの愛と疑念”、そういった様々なものが去来するシンフォニーだと言えます。さらに第1楽章から第4楽章まで、モティーフによる音楽的な統一があり、神々の住まう天界のごとく気宇(きう)壮大(そうだい)かつ崇高に描く必要があるのです」

聞き手 高山直也(音楽評論)